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日伸貴金属:その日その日を一生懸命に、未来につながる銀器を作り広げていく

2018.12.17

--伝統工芸に指定されている「東京銀器」を手がけられる日伸貴金属さん。東京銀器と日伸貴金属さんの歴史について教えてください。

(「日伸貴金属」 上川宗伯[かみかわそうはく]さん、以下SH)江戸時代、1700年前後に町人経済が豊かになった頃、幕府で銀の貨幣を作る機関「銀座」ができ、全国各地で採れた金銀が江戸に集まるようになりました。それと同時に全国から金属職人が集まり、町人たちの間でも金銀でできた装飾品を身につけるなどの需要が増し、その流れで銀器が工芸として発展を遂げました。私たちもその流れで現代も仕事をさせていただいているわけです。
当初は「上川製作所」と名乗り仕事をしていたようです。私の祖父・初代上川宗照が金属造形の祖と言われている鍛金の平田派9代直系・平田宗道の一番弟子として修行させていただき、その後独立して日伸貴金属という会社を設立したのが1964年。当時は高度経済成長期真っ只中で、伝統技術を活かしながら時には大手工場では技術的に難しいご要望にもお応えするものづくりもしてまいりました。

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--子供の頃から初代の仕事を見ていた2代目は、家業を継ぐにあたって迷いはなかったのですか。

(二代目上川宗照[かみかわそうしょう]さん、以下SS)それが当たり前のように育てられ、子供の頃から見よう見まねで作り方を学んでいました。その頃は同業者も多く活気がありましたね。そういった風景は今はだいぶ減りましたが。

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SH:祖父の時代は、一つの商品を作るのに大勢が関わる分業制を敷いていたため、一時期銀器組合には300人ほどの職人が登録されているような時代がありました。
しかし時代の流れとともに需要が少なくなり事業継承も難しくなっていきました。今は職人の数も圧倒的に少なくて、最盛期当時の1割いるかいないか...分業するほどの人数もいません。制作道具を作る職人さんもいなくなってしまいました。だから今は高度経済成長期を経験した職人さんがまだ元気なうちに、仕事の合間を縫って勉強させていただいたり、今なりにできる作り方を心がけています。

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--時代の流れや需要の変化の中で心がけていることや、感じることはありますか。

SH:祖父の時代は、銀器は完全に銀のみで作らなければいけないという掟があったので、異素材と組み合わせることは質を落とすこと、という考えがあったようです。これに対し今の時代は、異なる素材それぞれの良さを合わせて新しい工芸品としてご提案しやすくなりました。
例えば、銀は金属の中でも熱伝導率が優れているので熱いものを中に入れるとすぐ火傷をしてしまう。そこで外側を陶器、内側を銀器にした食器を作ったらよい反応をいただきました。ただ、百年後もずっと続く伝統工芸品として作っているわけではなく、次の百年に向けた新たなヒントの一手となるのかなと思います。

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SS:銀器の仕事も代々伝えていかなければいけないんだけど、じゃあこの仕事がずっと続くか?というとそうではないんですよ。今売れても50年後も同じように売れるとは限らないので、(その時々の)お客様のニーズに応えて作っていくということが大切じゃないかなと。そのためには腕、技術がないと困る。技術力を養っていけば時代に対応できるんじゃないかなと思います。

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--やりがいを感じる瞬間はどういった時でしょうか。

SS:やっぱりお客様に喜んでもらうこと。昔はお客様の顔が全く見えなかったんですよ。「君は作って納めればいいんだよ」という商人がいまして、そこで(お客さんとの関係が)ブロックされてしまった。
今は職人が顔を出せる時代になりました。宗照という名前を表に名乗れるようになったのも、バブルが弾けたからというのがあると思います。

--お客様をはじめ、一般の方々とつながる機会の一つとして体験教室をはじめとした銀器の普及促進活動に力を入れているそうですね。

SH:「銀の輝きは半永久的に続く」という風に思っていらっしゃる方が多いのですが、そうではなく、お手入れの仕方でものすごく味わい深くなる。磨くことによって「こんなに輝きが出るの?素敵だな」という風に思っていただくのは体験教室でないと伝わらないのかなと思います。あとは手作業でひとつひとつ気持ちを込めて模様打ちをしますので、そこに対して愛着が湧いたり「大切にしよう」と思っていただける。そのきっかけとして体験の場が重要というのは、逆に参加された皆さんに教えていただきました。

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--東上野から三筋に工房を移されて20年ほどだそうですが、この地域の特徴はなんだと思いますか。

SS:年寄りが多いですね最近は。若い人は朝早くから会社に行っちゃって、昼間はおじいちゃんおばあちゃんが散歩しててのどかです。

SH:年配の方は地域の方で、ちゃんと道行く人の様子も見ていてありがたいなと思います。見守りや消防、交通安全に力を入れて取り組む結束力は、この狭い地域ならではですね。僕はこの地域の中にいすぎて分からないところもあると思うのですが、他の場所からお越しいただく方にもこのことは評価いただくことが多いです。みなさん気さくで温かみがあるのが、粋でありがたいなと思います。

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--最後に、未来に向けてこうしていきたいと思うことはありますか?

SH:この「日伸貴金属」という名前は祖父母の代でついた名前で「日々伸びる、常に前進していく」という思いを込めてつけられたそうです。その日その日を一生懸命にこなし、職人としてしっかりやるべきことを重ねることが未来に繋がるのかなと思います。
やっぱり僕の中では、昔から父親が夜遅くまでトントンと何も言わずに作業してる姿っていうのはずっと印象的で。「ああ一生懸命やってくれてるんだな」と。そういう背中がすごくかっこよくて、僕もそれを仕事にしたいと思えたので自分で覚悟を決めてやらせていただいてます。

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Profile

プロフィール
Nisshin Kikinzoku
日伸貴金属
1964年の設立以来、台東地区で三代にわたり東京銀器を作り続けている。江戸末期の名匠の直系継承者である初代上川宗照氏から薫陶を受け、現在は二代目上川宗照氏と4兄弟の家族5人で江戸から受け継がれてきた技巧を基に、新しいセンスを融合させた次世代の 銀器を製作。工房では一家自ら伝統工芸製作体験教室も定期的に開く。
www.nisshin-kikinzoku.com
東京都台東区三筋1-3-13 伊藤ビル1階
ノーガホテル上野から徒歩18分、自転車で7分
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