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秋葉原の時代を6つにわけてみる:天野屋

今回は1846年創業の老舗甘酒屋「天野屋」の天野史子さんに、戦後から近代における秋葉原の移ろいについてお話を伺いました。

きっかけは敵討ち?宮津から江戸へ
ルーツは京都の丹後・宮津にあります。天橋立の近くに住んでいたご先祖が、江戸に出てきたことが始まりでした。当時、うちの先祖の弟が剣の達人だったそうなんですよ。その彼が神田の千葉道場で修業をしていたところ、道場破りに殺されちゃって...。昔はそういう時代ですから、兄が『敵打ちに行かないと』っていう話になったんじゃないかと思います。そうして頼ったのが京都の妙神寺。ただ当時は写真もなく、相手の顔もわからないし、でも昔は仇を討たなくちゃ帰れないと、帰るに帰れなくなってしまったんです。そこで与えられたのがこの土地でした。ただ、食べていくために何かしなくてはならなかったので、敷地にあった室(むろ)を活用して、糀づくりや味噌づくり、甘酒づくりを始めたのが天野屋の原点ですね。

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この地はかつて中山道沿いにあって、日本橋への通り道だったので多くの旅人が行き交う場所でした。仇がここを通るのではと、茶屋も建てました。

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暮らしの工夫、糀が元気の源
―塩糀も何年か前にちょっとブームになりましたよね。

お味噌はお塩と糀と大豆で作っていますからね。糀を取り入れるのは最近始まったことじゃなく、昔からもう日本人は食べていたわけで。だから、体も丈夫だったと思います。昔は簡単にお医者さんにかかれなかったわけですよ。お殿様なら砂糖を食べられても、庶民は食べられませんでしたからね。甘酒がお砂糖代わりにもなっていたんです。だから申し訳ないけど、今の人より体は丈夫だったと思いますよ。(笑)

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街と共にお客さんも変わる
―第二次世界大戦以降はこの辺りの地域もすごく変わったと思いますが、お客さんは最近どんな方が多いですか?

やっぱり秋葉原が近いですから、今は若い人が多くなりましたね。昔はね、そうでもない。おばあちゃんとお孫ちゃんで来たり、若い夫婦連れだったりで、10代の若者が一人で来ることはなかったですね。今は近くでコンサートや、明神さんの催しがあったりすると、帰りに必ずお寄りいただく方もいらっしゃいます。お茶の水駅の方が近いですから、当店へ寄って秋葉原から帰るという方もいらっしゃいますね。

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何年か前か、飛行機の機内誌に当店を載せていただいたんです。その記事を読んで羽田から真っすぐ来たというお客さんもいらっしゃいました。街を回る前にまずはここで甘酒を飲んでからって。昨日もフランスからのお客さんが来られました。ご紹介いただいた方がいて、口コミで広がり、その方たちがまた数名連れて来られて。

―甘酒に冷やしのイメージがなかったのですが、季節によって提供を変えているんですか?
今は冷やしで出していますけどね、年末年始とか寒い時期はあったかいので。真夏でも暑いのが好きな方もいらっしゃいます。

昔はここの近くにやっちゃ場(青果市場)があったんですよ。やっちゃ場で働いている人たちは 1日3回とか飲みに来ていました。ここで甘酒を飲んで、また仕事に戻って。「これが俺の栄養食だ」なんて言っていましたね。ちょっと風邪ひきそうだから飲みに来た、とか言いながらお客さんを一緒に連れて来てくれたり。温かい甘酒を飲むと体の中から温まるでしょう。何回か飲みに来て、「治ったよ」ってお礼を言って帰る方もいましたよ。

天野さんが一番の宣伝効果
昨年まで一緒に店を切り盛りしていた姉が、1年前に眠るように旅立ってしまって...。夜「おやすみなさい」って言って、次の日の朝起きてこなかったんです。一番いい亡くなり方だったと思います。

ー戦後や、やっちゃ場のお話しをお聞かせいただいていますが、失礼ですがご年齢をお伺いしてよろしいでしょうか。
私79です。(笑)姉とは14歳離れていました。私の主人も亡くなりましたけど、今では私が一番年寄りになってしまいました。

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笑顔で語る天野さんは本当にお若い。
甘酒や糀で体が丈夫というお話しもそうだが、天野さんの元気なお姿を見る事が一番の宣伝になるのではないだろうか。

Profile

プロフィール
天野屋
女将
天野史子さん