今回は秋葉原で電子部品や電子機器を扱う、日昭無線株式会社の代表である伊佐野勝利さんに、戦後の秋葉原における闇市のお話や電気街の始まり、高度経済期の歴史についてお話しを伺います。
無線機から電気街の始まり
昔はパソコンや家電ではなく、真空管が主流で、あの頃は半導体がまだなくてね。鉱石ラジオというのがあって、東京電機大とかの学生が技術書を買ってきて、それを見ながらラジオを組み立ててた時代。物資もなかなか手に入らなかった。戦後電気商は神田周辺で戸板の上に部品を並べて、露店のような形で売ってたんだ。けどGHQの取り締まりで露店整理が進んで、「原っぱへいけ」と。それで秋葉原へ移転したのが、電気街の成立ちみたいなものだよ。
当時店に来てたのは若者じゃなくって、パーツの知識がある人たち。買いに来るのは仕事でものづくりしてる人で、部品とか真空管を買いに来てる人が多かった。

戦後闇市と真空管
戦後は真空管確保が一大ビジネスでね。秋葉原でもなかなか入手できなくて、調達先として頼りにされたのが米軍キャンプですよ。
―なるほど、いわゆる闇市ですね。
私がちょうど秋葉原に来たばかりの頃も、真空管はなかなか入手困難で。半導体が登場し始めて、初めて学生みたいな人たちが店に来るようになったね。ところが、商売でやってる人は設備機器を作るのにやっぱり真空管が必要で。当時は半導体がまだ高額すぎて、結局真空管の調達を続けなきゃいけなかった。そうすると真空管は不足していたから高値で売れるわけよ。(笑)100円で仕入れたら 1,000円、1,500円になることもあった。
売れれば儲かる時代だったね。先代は兄貴なんだけど、真空管を風呂敷に入れてタクシーでお客参りするわけよ。風呂敷1個で大体 1ヶ月食える。貴重な真空管を持っていれば、それだけで商売になった。調達ルートを持ってる人が強かったわけよ。
ただこれも短期的なものなんでね。時代は半導体 、ICに移り変わって、真空管の値段も安くなっていった。技術が変われば商売も変わる、そういう業界ですね。

やっちゃ場の思い出
1951年ぐらいか、まだ牛が荷車引いていたけど、都電も走ってた。当時は正月になると、リアカーで納品に来たんだ。その頃飯食いにやっちゃ場(青果市場)とかでよくお世話になって。近隣の人も結構よく行ってて、市場で働いてる人とか次第に仲良しになってさ。わたしじゃないけど、親父と喧嘩したりなんかもして。
社名で歴史がわかる
面白いのが、社名を見ると企業の大体の歴史がわかる。昔は「〇〇電業」って社名が多くて、その後に「〇〇電気・電気産業」。さらに時代が進むと「無線」。その次が「電子」、で「エレクトロニクス」という横文字が出てきて。「〇〇電業」というのは、おそらく秋葉原の中でも70年、80年は超えてる企業だね。
―時代がわかるのは面白いですね。エレクトロニクスとかって横文字が出てくる頃にはインベーダーゲームも出てきそうな気がしますよね。
インベーダーゲーム、喫茶店でよくやってたよ。ちょっとサボって。(笑)
アイデアと技術開発
バブル期はさ、「とにかく急げ、作れ」。働けば働く分だけお金も入るっていう時代ですね。昔の小型テレビはブラウン管だから、画面はちっちゃいのに後ろが長えの。あとラジオ付きの双眼鏡、これはイヤホンで実況を聞きながら野球観戦するやつ。そういうアイディア商品っていうのが出てきたね。ただ技術の進歩が早いんで、多くの商品は短命なんだよ。だから発展と衰退が繰り返されるわけよね。

街に飲みに出ること
昔ね、総武線沿いに「東京庵」って蕎麦屋があったのよ。そこの蕎麦屋で親父が昼に熱燗飲みながら蕎麦をつまみに酒飲んでるわけよ。それが羨ましくてさ、俺もなりてえなって思って。
―行きつけのお店がいくつかあるそうですけど、その中でノーガホテルのレストランも行きつけにしていただけているのはありがたいです。
いやいや、知らないうちにアンバサダーになってさ。勝手に名刺作られたよ。(笑)
けど、お店の対応だとかも当然あるんだけど、よっぽど気分が乗って、気が合わないとダメだね。
―今回取材で伺う中で、商いとしての目線の話もそうですが、街に繰り出すことが多いんですね。新しい出会いは、これからやりたい事などにも繋がりますか?
今の業種と全く違う事もちょっとやりたい。はっきり定まってるわけじゃないんだけど。誰か成功したから真似をするんじゃなくて、自分が面白いと思う何か。今までも人との出会いがビジネスに繋がることが結構あったかな。業界が違っても、将来的に結びつくことはたくさんあるからね。でもそれを見越してやるんじゃなくて、今やりたいことを見つけて、それをやったら必ずどっかでまたうまくつながる。電気産業も、全く別の分野のものと電気を融合しながら発展してきたから。
一見結びつかなさそうなものや分断されているように思えるものでも、きっかけがあれば繋がっていく。蕎麦屋で見た親父の背中に憧れたように、伊佐野さんの背中に憧れる若者がこれからどんどん出てきそうだ。