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秋葉原の時代を6つにわけてみる:神田明神

今回は江戸総鎮守神田明神の広報担当で権禰宜の加藤哲平さんへ、神田明神の歴史、町名の由来、伝統行事、そして秋葉原の由来について伺いました。

神田明神の歴史
実はもともと神田明神はここには無く、今から400年ほど前に移ってきました。奈良時代の天平2年(西暦730年)と1300年前にご宗建したのですが、出雲の国の人々が東国開拓のために武蔵国の柴崎村(現在の大手町)へ移り住み、故郷の神様である出雲大社の大己貴命をお祀りしたのが神田明神の始まりだと伝えられています。しばらく大手町の場所にあったんですね。

町名の由来から歴史を辿る
私が秋葉原を担当してからとても印象的だったのが、外神田エリアの町名です。観光に訪れる方々にとっては何丁目という認識しかないかもしれませんが、地域には江戸時代から古い名前を守った町会組織があり、昔ながらの町名が今も息づいています。住んでいる方々は「ここは末広町ですよ」、「ここから松富町だからね」といった具合に、丁目ではなく町名で場所を表します。外からは見えない、その土地ならではの"粋"な文化が残っていることにとても新鮮な魅力を感じました。私も入社すぐに、町会長の方々にご紹介いただいたんですが、最初は町会区画っていうのを覚えるのがなかなか大変で。(笑)

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例えば神台会は、神田明神の「神」とお台所町の「台」に由来し、同朋町は、同朋衆っていういろんな雑用事をする若いお坊さんたちが住んでいたことから同朋町になったんです。金澤町は、かつて加賀藩の藩邸があったこと、藩主の居城が金沢にあったことからの名残ですね。町名には歴史があり、全部理由があるんです。昭和 39年の区画整理によって住所は「外神田」に統一されましたが、地域の方は今でも昔の町名に誇りを持ち、日常的に使い続けています。ちなみに、街中には千代田区の町会の成り立ちを紹介する案内板が設置されているので、町名ごとに巡ってみると面白いかもしれません。

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歴史という点では、秋葉原駅前が元々やっちゃ場(青果市場)だったことでしょうか。街中を歩くと、卵の卸店やダンボール会社、愛媛みかんの会社、あとフルーツパーラーが松富町にあったり。昔ここに青果市場があったっていう知識で見ると、街歩きが面白いんじゃないかなと思います。
単に美味しいフルーツパーラーがあるだけではなく、過去の歴史があるからこそ美味しい果物が名物の店なんだという事がわかります。

_N0A2801.jpg外神田4丁目(旧神田田代町)にある卵卸の老舗「荒木商店」

また、この地域には船着場や、今はもうないですが万世橋駅がもともとあって、物流が盛んだった痕跡は今でも残っています。万世橋駅自体は東京駅ができて解体されましたが、実はこの神田明神の境内に初代万世橋の石橋の欄干があるんですよ。

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秋葉原の名前の由来
台東区に秋葉神社という、もともと秋葉原にあった神社がありまして、秋葉原駅ができたことにより現在の場所に移動しましたが、中でも鎮火祭が有名で、毎年神田明神からも若手神職が手伝いに行っています。秋葉原は古くから火除けの街として知られており、「秋葉ヶ原」と呼ばれた火除け地が語源でして、後に秋葉原という地名になったと言われています。秋葉原のルーツを知りたい方は、秋葉神社さんの鎮火祭や火渡り神事を見学すると、より理解が深まると思います。


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江戸の祭礼、江戸型山車
―これから取り組んでいくことやお知らせなどがあれば教えてください。


 1300年記念事業の一環で社殿の修復を予定しています。それと並行して力を入れているのが、江戸の祭礼文化の継承です。神田祭は、今でこそお神輿の祭りとして知られていますが、江戸時代は山車の祭りでした。しかし都市化が進み、陸橋や高架が増えたことで大きな山車が通れなくなり、なくなく時代と共にお神輿に変遷してきたという歴史があります。今では東京っていうとお神輿の祭りになっていて、昔活用していた山車は地方に売られ、埼玉、千葉、神奈川など各地のお祭りのために現在も残っているんですね。川越まつりなどはその代表例ですね。江戸の祭礼文化の原点は山車にあります。そのため千代田区も江戸発祥の「江戸型山車」の祭礼文化の復興に取り組んでいます。我々神職も江戸のお祭りを形あるものとして表していけないかと活動しております。去年は江戸の祭礼講座を開催し、各地に残る山車文化の担い手を招いて人形の展示や、講演を行いました。今年も 8月に開催予定です。今後もこのつながりを深めていって、全国で山車文化や江戸文化を継承している方々とコミュニケーションをとりながら、かつて江戸で祭礼文化の中心だった神田祭、そして山王祭とも協力して、江戸の祭りを形にしていきたいと思っております。

ちなみに江戸型山車には独特な特徴があります。江戸城へ入る必要があったため、城門を潜れるよう工夫がされており、2階・3階部分のからくり人形がぐわーっとゼンマイ仕掛けで上下する構造を持っていました。当時は町同士が競うように豪華な人形と山車を作っていたんです。

kanda.jpg※東京都立中央図書館「神田大明神御祭礼図」

―人形文化が盛んだった背景もありますか?
その背景はありますよね。江戸時代中期〜後期に有名な人形師がいて、こぞってその腕を競ったそうです。

―文化発展の仕方が浮世絵とも近いですね。何かを模して作るとか、モデルがいて、それを映し型にするというのが江戸らしい文化だなと感じました。
必ずしも題材が縁起物というわけではなく、当時流行った水滸伝や中国の島の話、町のヒーローが山車人形になりました。資料館で保管している、神田祭でひかれていた千代田区指定文化財の「熊坂長範」の人形もその一例です。熊坂長範は大泥棒として知られる人物ですが、それでも「かっこいい」「粋だ」という理由で人形になった。先端的なものや、流行を肯定する文化というのも江戸の魅力のひとつかもしれませんね。

移ろいゆく時代の中で人々が連携し、昔ながらの伝統をしっかりと継承することで、人が文化や街を作ってきた。街角にあるものに目を向けると、この街がもっと面白く感じられるかもしれない。

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江戸総鎮守 神田明神
権禰宜
加藤哲平さん