--「紋章上繪師」とはどういう仕事なのでしょうか。
波戸場承龍さん(以下S):着物に家紋を手描きで入れる仕事になります。僕で三代目になるのですが、明治四十三年(1910年)初代の源次が栃木県間々田から上京し、京橋で紋の形に糊をつける紋糊屋の職人としてスタート しました。屋号は「京橋」の「源次」で「京源」。ですが、第二次世界大戦の空襲で京橋の店が焼けてしまい、「京源」の屋号としての歴史は一旦なくなったんです。
波戸場耀次さん(以下Y):二代目と三代目(父) は紋章上繪師の職人として独立したのですが、紆余曲折を経て、父は着物の総合加工の会社を立ち上げたのです。その後、10年ほど前から父が加工業とは別に「自分のものとして作品を残したい」とデザインや作品づく りを始めたことがきっかけで、皆さんに作品をお見せできるきちんとしたスペースがほしいね、と場所を探していたら、この台東区東上野の場所が見つかったんです。それが7年 前。全く縁のない土地だったんですけどね。 越してきた時に「紋に特化したビジネス、原点にかえろう」と初代の屋号を復活させ、ア トリエとしての「誂処 京源」が生まれたんです。
--三代目はどうして作品づくりを始めたのでしょうか。
S:1964年に三越でニューデザイン商品展というのがあって、僕の親父(二代目)が色紙に家紋を描いて発表しました。そこから額装した家紋が全国的に広まりました。僕も50歳になるタイミングで何か残していけるものをつくりたいと思い、江戸小紋と家紋を組み合わせた作品づくりが始まりました。
Y:ある時ロゴをデザインしてもらいたいという仕事が来たんです。納品するにはデータを作成する必要があり、当時はそういった作業を頼めるような知り合いがいなかったので、自分でIllustratorの本を買って、ソフ トのトライアル期間の1ヶ月の間に、なんとか納品することができたんです。その時、今後このソフトは自分たちの仕事に役に立つから導入しようと思って、そこから別のソフト も使ってウェブサイトも自分で立ち上げました。初めは「紋をデザインする」というのは、理解されにくいビジネスでしたが、ありがたいことに僕たちの活動を応援してくださる方に恵まれ、次第に様々な方をご紹介いただいたり、ウェブサイトを通して問い合わせをいただくようになりました。いろんな仕事を手掛けるようになると「紋をデザインするとはこういうことなんですね」とさらに広がっていきました。
--家紋のデザインの面白さというのはどういうところでしょうか。
S:紋の歴史は千年以上、かたちとして完成されていますから新たに創作することは難しいのですが、違和感なく紋らしさを残しつつ、現代に溶け込むデザインに昇華させることに面白さを感じています。個人の紋から企業のロゴ制作やパッケージデザイン、最近では海外からの依頼も増えてきました。
--この場所に来てから変わったことはありますか。
Y:ここは本当に下町の風情が残っている街で、ここに越して来てから青年部に入ったのですが、そこでできた繋がりがあって、様々な年代や仕事を持った人々が集まって行事を行うって、こんなに楽しいんだっていうのが自分のなかですごく心地良かったんです。この街に来たことで生まれた、いろんな方との巡り合いのなかでいろんなものがつくれるようになりました。ここに来てから道が拓けた感じですね。人が本当に温かいです。